生きる、という壁

2011年4月26日

アメブロ【ロミロミセラピスト マウのブログ。】より

<ツイッターやFacebook、ブログなど
常に自由に情報を発信できるからこそ
今回の震災後、それぞれご意見があるかと思います。
ここでは、地名や写真を載せさせていただきますので、ご了承ください。>

 

山形入りした次の日は、
塩竈市MAP の恩師の地域をお見舞いに行かせて頂きました。

宮城に入ると、だいぶ内陸のところでも、屋根が壊れてビニールシートで覆われているのが見えてきました。
高速もガタガタしてきます。
大きな亀裂も入ってきます。
見上げた空には地震雲

 

海なんて見えないのに、
なぜここに
大量の水が流れた様子があり、
道路でもないところに車がボロボロになって倒れ
田畑が跡形も無く
何かわからない瓦礫が散乱しているのか

車中で、それぞれ呆然とするのでした。

立ち寄った飲食店はとても活気があり
しかし実は地下の厨房部分は、津波の影響で復旧の真っ最中でした。
泣いてたって仕方ないんだ!という町の人の前に進む心を感じます。

町を車で走っていると、流された車が集められて、山のように積み上げられていたり
道路の真ん中に、くしゃくしゃになった大型トラックが横たわっていたり

そんな光景が広がっても、
恩師は、『これでもほんとにキレイになってきたのよ。』と、説明しながら、塩竈、多賀城、宮城野、若林、名取地域まで案内してくれました。
至るところで、町のために働く姿がみえました。

同じ地域でも、ちょっとの差で被害は雲泥の差。
塩竈の家や、親戚、友人を・・失った、という方にも会いました。
今は、泣く、というよりも、負けるか!という気持ちが強いそうです
恐らく、ゆっくり受け止められる状況ではないのだろう、、と思いました。
その方は、毎日、見知らぬ人のこころをカラダを、家族のように労わり、助けています。

恩師は地震当日、ラジオから聞こえる情報はあるのだけど
何がなんだかわからず、
身内を探しに自転車ででかけるものの、道は水であふれて進めなかった、、
水の中にぽつんと立ち尽くす、10代後半の女の子を連れて帰ってきたそうです。

息子夫婦や、その友人たち、女の子、家族
電気が無くとも、水が出なくとも、みんなで一緒に、とにかく声を掛け合って、明るく過ごしたそうです。
きっと涙もあるでしょう、しかし、ただただ『生きる』という、当たり前のようで、大変な壁を何度も乗り越えながら、
今の笑顔があるんだと、今の強さがあるんだと、
ただひたすら、なんとか生きている人もいるんだと
今回、出会った方々みなさまを通して感じました。

ひとつだけ言えることは
今回みてきた、どんな酷い地域でも
状況によって差はあっても、確実に前に進んでいます。

一日かけても、なんでこれしか進んでいないんだ!という気の遠くなるような作業の繰り返しではあります。
それでも各地で、色々なものを抱えて、そういう一日を、諦めずに生きているんです。

しかし、場所によって、まだまだ支援が必要であることを知っておくべきだと思いました。

 

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